「フィジー生活図鑑」の目次

基本情報
├正式名称
├国旗
├国歌
├歴史
├位置及び国土
├時差
├気候
├経済
├通貨レート及び両替
├人種
├宗教
├フィジアンとインディアン
├土地所有制度

文化
├マナー・タブー
├フィジー語入門
├フィジーヒンディー語入門
├英語
├フィジー独特の言葉
├住宅(都市部)
├住宅(村落部)
├一般家庭の食事
├グロッグ(カバ)
├ワークスタイル
├フィジーの音楽
├フェスティバル
├ディワリ
├スポーツ
├学校
├ジェンダー

トラブル
├地震・津波
├治安
├病気
├蚊
├蟻
├犬

食べ物
├食料全般
├野菜
├野菜図鑑
├フルーツ
├チリ
├肉
├魚
├卵
├調味料
├米
├鍋で米を炊く方法
├キャッサバ
├ココナッツ
├外食図鑑
├インスタントラーメン
├ラーメン
├チョプシー
├ョプシーの作り方
├ロティ
├ロティの作り方
├カレー
├ツナカレーの作り方
├ロボ料理
├日本食材の店

飲み物
├酒類全般
├ビール
├バウンティー
├フィジーウォーター
├アイランドチル

生活情報
├電気
├水道
├ガス
├インターネット
├電話
├郵便
├新聞
├テレビ
├映画
├DVD
├タバコ
├芝刈り
├散髪
├衣服
├買い物
├カード
├物価
├外食事情
├荷物を送ってもらう
├持ってくるべき物

交通
├交通事情
├道路事情
├バス
├ミニバス
├タクシー
├飛行機
├ナンディ国際空港

街歩き(動画あり)
├スバ
├ラウトカ
├ナンディ
├シンガトカ
├バ
├タブア
├ラキラキ
├ナウソリ
├ナブア
├ランバサ
├サブサブ
├デナラウ
├レブカ
├キングスロードの旅

その他
├ホームステイ
├ダイビング
├家庭菜園
├フィジー旅行
├写真
├街角おもしろ写真
├フィジー土産図鑑
├ホテル
├フィジー留学の雑感
├旧車
(順次追加予定)

歴史

○フィジーの伝説によれば、人々が大酋長ルツナソバソバに率いられ、マレー半島を経由して東南アジアから海を越えてフィジーの地にやってきたとされている。
考古学的には紀元前1300年頃にはヴィチレブ島に人が住んでいたとされる。

○ヨーロッパ人ではじめてフィジーにやってきたのは、オランダ人の冒険家タスマンである。これが1643年のこと。日本だと江戸時代初期の頃合いである。
次にフィジーへ到達した記録が残っているのはイギリス人の航海家のクックである。1774年のこととされている。

○19世紀初頭には、白檀を求めて多くの欧州系商人がフィジーに到来した。他方、難破船乗組員やオーストラリアからの脱走囚などもフィジーに流れ着き、定住する者もいた。また、このころのフィジーはは諸首長割拠の時代であり、有力な首長たちが近隣の村落を征服統合し、部族間の戦争が慢性的に続いていた。

○1844年にイギリス人の宣教師がやってきて、布教を行い、フィジー王ザコンバウ.jpg1854年に当時のフィジーの王であるザコンバウがキリスト教に改宗している。なお、宣教師が力を持ち始めてから、当時フィジーにあった食人の風習は急激に消滅していった。

○1874年イギリスの植民地になるが、武力で制圧されたわけではなく、自らイギリスの保護領となっている。理由として、米国の軍艦、外国人等が、フィジー人から受けた損害の賠償としてザコンバウに対し莫大な金銭を請求、これに窮したザコンバウがフィジーの主権を譲り渡す代わりに英国に賠償の肩代わりを頼んだこと、あるいは当時トンガからの侵略の恐れがあったためとも言われている。
当初の首都はオバラウ島レブカで、1882年に現在の首都スバに遷都している。フィジーの戦士.jpg

○1879年、これ以後のフィジーの歴史と文化に多大な影響を与えるインド人が、はじめてサトウキビプランテーションの労働者としてフィジーにやってきた。1916年まで人口の流入は続いた。
なお、この頃やってきたインド人(インディアン)であるが、彼らは契約移民であり、彼らの多くが契約期間が過ぎても本国には帰らず、フィジーで独立した農家になるか商業に従事するかしていった。そして彼らの子孫がやがてフィジーの人口の半分を占めるようになる。
1910スバ
○1970年イギリスより独立。英連邦30番目の加盟国となった。

○1987年4月、総選挙の結果により、フィジー系フィジー人(フィジアン)ババンドラが首相に任命されたが、インド系閣僚の数がフィジー系閣僚を上回った。翌5月、フィジー人の権益保護を掲げたランプカ中佐率いる軍によりクーデターが発生。9月に2度目のクーデターが発生する。10月には共和制を宣言し、英連邦から離脱。

○1990年フィジアンに有利な憲法を公布するが、これを見直し、1997年に改正憲法を公布して英連邦に再加盟した。

○1999年総選挙でインド系のチョードリーが首相に就任するが、翌2000年、ジョージ・スペイド率いる武装グループが国会を占拠する事件が発生した。これに対し軍が戒厳令を発令し、文民暫定政権が誕生した。

○2001年総選挙が実施され、ライセニア・ガラセが首相に就任した。

○2006年バイニマラマ国軍司令官は、ガラセ政権及び、上下両院の解散、主要政府高官の更迭等により無血クーデターを敢行。バイニマラマ国軍司令官が大統領代行を宣言。

○2009年、この軍事政権を憲法違反とする判決が出されたが、逆に軍事政権は憲法を廃止させた。また、国際的には民主的選挙の未実施により英連邦の資格を停止させられる。
2010スバ
○2014年、総選挙が行われ、民政を回復。また、イギリス連邦に復帰した。

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