フィジアンとインディアン
○軋轢の経緯
1879 年、サトウキビプランテーションの労働者として移民がインドから到着して以来、独立するあたりまでは、軋轢は潜在的なものでした。それは、両者の生活空間が、物理的にも経済的にも社会的にも分断されており(フィジアンは村にすみ、インディアンは街に住むといった違い)、相互に交差することが少なかったという背景があります。
しかし、独立後の近代化と経済発展により、都市部在住のフィジー人が増加しました。資本主義経済システムという枠組の中で、彼らとインド人との生活空間が重なりを持つようになりました。経済観念に優れたインド人は、フィジー経済の根幹を担ってきたものの、フィジアン優先の社会システム、特に不平等な土地所有制度に対して、不満を募らせていました。
一方で、経済を中心に影響力を増すインディアンの権利拡大要求運動の高まりに対し、先住民であるフィジアンの権益を守ろうとする動きが出てきて、80年代までフィジー社会はフィジアン対インディアンという単純なエスニック対立がありました。
しかし、さらに資本主義経済化が進む中で、都市部にすむフィジアンの中には従来のフィジー人とは異なる近代的価値観をもつ、新たな階層が現れました。共に都市部にすむフィジアンとインディアンは共に高等教育を受け、共に働く同僚であり、近代的な価値を共有するするようになりました。
さらに、フィジーでこれまであった4度のクーデターの内、最初の3度(1987年に2度、2000年に1度)は、フィジアン対インディアンの対立が主な原因でしたが、2006年のクーデターでは、フィジアン同士の対立が主因であり、従来のフィジアン対インディアンという構図は崩れてきています。
○現在の両者の関係
フィジアンとインディアン、現在の関係はというと、外から見ていてそれほど悪くないと思われます。筆者の職場でもフィジアンとインディアンの両方いますが、皆仲良く仕事をしています。また、以前はほとんどなかったと言われる両民族間の結婚も増えてきていると聞きます。とりわけ若い世代では軋轢は薄まってきていると見ています。ただ、完全に同化しているかと言うとそうではなく、例えば筆者の職場のパーティーでは、フィジアンとインディアンは一つの会場にいてもそれぞれの民族にきれいに分かれて、それぞれの言語で話に興じます。しかし、仲が悪いという感じではありません。
しかし、年配の人の間では、表面上は諍うことはないものの、互いの不信感は根強いようです。とりわけインディアンからするとフィジアンは働かない、フィジーで働いているのはインディアンばかりだと愚痴る人も筆者の周りで多いです。