ジェンダー

フィジアンは父系社会で、男尊女卑の傾向も未だ根強いとされています。普通、女性は村での意思決定の場に公式には参加を許されないのが伝統です。
インディアンも同様に男尊女卑の文化があります。しかし、家庭では、実際は奥さんの権力の方が強い場合があり、さらには専業主夫もいます。一方で、イギリスの植民地であったせいか、レディーファーストの文化があり、バスの中で女性が立っていれば、男は席を譲らなければなりません。このようにフィジーは一概に男尊女卑の社会とは言えません。
一方、会社や官公庁においては、女性の管理職も少なくありません。女性の上級職・管理職の割合は51%で121カ国中4位だそうです(出典UNDP (2009) Human Development Report 2009)。

土地所有制度

フィジーの土地所有制度は独特です。フィジーのほとんどの土地はフィジアンの部族が所有しており、自由に売買できる土地はごくわずかです。
フィジーの土地は以下の3つに分類されます(数字は1986年データ)。
・ネイティブランド(Native Land)=83.2%
・フリーホールドランド(Freehold Land)=9.8%
・クラウンランド(Crown Land)=7.0%

ネイティブランドとは昔からフィジアンが所有している土地で、フィジアン以外の所有は認められていません。フィジアンが利用していない土地を借地としてインディアンか借りて農業をしています。インディアンがいくら頑張ってお金を貯めても、この土地は購入できません。
フリーホールドランドとは植民地化以前に入植した主に欧州人によって購入(略奪?)された土地で現在も売買可能です。しかし、フィジー全体の10パーセント程度なので、売買価格は非常に高価となっています。
クラウンランドとは政府の所有の土地で、公共目的に使用されています。

なぜ、このような土地所有制度が出来たかと言うと、それは1874 年、フィジーが英国の直轄領となった時にさかのぼります。当時のフィジーでは、欧州系入植者がプランテーション経営のために、殆ど略奪に近い方法で土地をフィジアンから買い取っていました。これを見かねた初代フィジー総督ゴードン卿はフィジアンの土地の権利を守るためフィジアン以外には所有権を認めない法律(Native Lands Ordinance)を1880年に制定しました。
確かにこのゴードン卿の取った措置が無ければ、フィジーの土地はそのほとんどがアメリカのように白人のものになっていたかもしれません。世界が帝国主義の真っ盛りにこのような法律を制定したゴードン卿はかなり見識豊かな人物であったと思います(お情けでこのような法律を作ったと言うより、イギリスはフィジーを部族の長に治めさせる間接統治の方針でいたため、その部族の生活の根源である土地が欧州人のものになってしまえば、この前提が崩れてしまうと考えていたのではないかとも思う)。
しかしながら、この法律が後になってフィジアンとそれ以外民族(大部分がインディアン)との間に格差を生み出すことになりました。

1879年、さとうきびプランテーションの年季契約労働者としてインディアンがフィジーに初めてやってきました。1916年まで流入が続き、彼らの中には契約期間を過ぎても本国に帰らずフィジーに定住する事を選んだ人が大勢いました。さらに、1920 年代以降、フィジーで商売をすることを目的としたインディアンも自由移民として流入し始め、フィジー在住インディアンは人口を増やしていき、一時はフィジアンの人口を上回ることもありました。
フィジーの経済を握り、人口の半分を占めるインディアンも土地を所有する事は出来ず(フリーホールドランドは高価)、フィジアンに農地や居住地の土地代を払い続けなければなりません。インディアンがあくせく働いても、その稼ぎの何割かは、何もしてなくともフィジアンの懐に入ってしまうわけで、当然ながらインディアンから不満は大きくなっていきました。
インディアンの社会的な影響が強くなると、政治的に格差を是正する動きも出ましたが、結局のところ、土地政策を土台としたフィジアン優位の体制を崩すことはできませんでした。その結果、フィジーで働くことは割に合わないと思い、海外に移住するインディアンも最近は多くなり、インディアンの人口割合は急激に減少しています。

サブコンテンツ

このページの先頭へ