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宗教

○フィジーの宗教の概要
宗教比率.pngフィジーで信仰されている宗教で最も大きな割合を占めるのがキリスト教です。その次はヒンドゥー教、それにイスラム教が続きます。これらがフィジーの3大宗教と言えます。また、数は少ないですが、シーク教徒やほかの宗教を信仰する人もいます。
フィジアンはほぼ100%がキリスト教徒で、インディアンはヒンドゥー教徒、イスラム教徒などに分かれます。
※グラフデータは2007年センサスより

○キリスト教
kyokai

教会

フィジアンのほとんどはキリスト教です。都会はもちろん、どんな辺鄙な村にも教会はあって、みな日曜日には聖書を片手に正装で教会に通います。19世紀に宣教師がやってきてキリスト教が普及し始め、これまで170年間でフィジアンをすっかり敬虔なキリスト教徒に変えてしまいました。それまでは土着の宗教が信仰されていましたが、現在のフィジアンの感覚からすると、当時はキリスト教を知らない不幸な時代だったという捉え方をしているようです。
なお、フィジーのキリスト教にも宗派があって、通う教会も異なっています。中にはアルコールやグロッグ(カバ)のような刺激物を飲むことを禁じる宗派もあります(筆者の周りにもそういう人は少なくありません)。

○ヒンドゥー教
hindjiin

ヒンンドゥー寺院

インディアンの大部分はヒンドゥー教を信仰しています。街にはヒンドゥー寺院もあり、各家庭の庭にも礼拝所が設置されており、そこで毎日礼拝しています。筆者の同僚で、いまどきの若者風のインディアンも一日何度も(5、6回やっているらしい)礼拝してると聞くと、彼らにとって祈ると言う事がいかに生活の中で大切なのかを思いしらされます。
また、ヒンドゥー教徒の中にはベジタリアンも少なくありません(それなのに太っている人がいるのは不思議ですが)。肉を食べないと心が穏やかになるそうです。
ディワリ等のヒンドゥーのお祭りも毎年盛大に行われており、ヒンドゥーの文化は本国のインドから遠く離れたフィジーにおいても大きな影響を与えています。

○イスラム教
mosk

モスク

インディアンの内、2割弱がイスラム教を信仰しています。特にフィジーの西部地区に信徒が多い傾向にあります。イスラム教の教会であるモスクは存在感があるせいか、街に一つは必ずある印象です。学校もイスラム教団が運営している学校も少なくありません(ムスリムスクールと言いますが、それ以外の宗教の子供も入学可能。ムスリムスクールは寄付金のおかげで設備がいいらしいく人気がある?)。
街では毎日何回か、モスクからコーランの言葉?がスピーカーで流れてきます。キリスト教の教会に比べたら数は少ないですが、かなりの存在感です。このようにフィジーにおいて、イスラム教は第3の宗教と言えど、社会に対してはキリスト教やヒンドゥー教に負けないぐらいのインパクトを与えています。
ムスリムの生活ですが、よく知られているように、メッカの方角に向って一日何度も礼拝します。筆者の同僚も、昼休みにモスクに行って礼拝している人もいます。また、一年に一回断食期間があり、その期間のムスリムは仕事中も空腹で機嫌が悪そうです。ムスリムは酒を飲んではいけませんが、ときどきこっそりと飲む人がいます。どうもフィジーのイスラム教はゆるいらしく、本格的にやりたいひとは海外で修行するそうです。

フィジアンとインディアン

○軋轢の経緯
1879 年、サトウキビプランテーションの労働者として移民がインドから到着して以来、独立するあたりまでは、軋轢は潜在的なものでした。それは、両者の生活空間が、物理的にも経済的にも社会的にも分断されており(フィジアンは村にすみ、インディアンは街に住むといった違い)、相互に交差することが少なかったという背景があります。
しかし、独立後の近代化と経済発展により、都市部在住のフィジー人が増加しました。資本主義経済システムという枠組の中で、彼らとインド人との生活空間が重なりを持つようになりました。経済観念に優れたインド人は、フィジー経済の根幹を担ってきたものの、フィジアン優先の社会システム、特に不平等な土地所有制度に対して、不満を募らせていました。
一方で、経済を中心に影響力を増すインディアンの権利拡大要求運動の高まりに対し、先住民であるフィジアンの権益を守ろうとする動きが出てきて、80年代までフィジー社会はフィジアン対インディアンという単純なエスニック対立がありました。

しかし、さらに資本主義経済化が進む中で、都市部にすむフィジアンの中には従来のフィジー人とは異なる近代的価値観をもつ、新たな階層が現れました。共に都市部にすむフィジアンとインディアンは共に高等教育を受け、共に働く同僚であり、近代的な価値を共有するするようになりました。

さらに、フィジーでこれまであった4度のクーデターの内、最初の3度(1987年に2度、2000年に1度)は、フィジアン対インディアンの対立が主な原因でしたが、2006年のクーデターでは、フィジアン同士の対立が主因であり、従来のフィジアン対インディアンという構図は崩れてきています。

○現在の両者の関係
フィジアンとインディアン、現在の関係はというと、外から見ていてそれほど悪くないと思われます。筆者の職場でもフィジアンとインディアンの両方いますが、皆仲良く仕事をしています。また、以前はほとんどなかったと言われる両民族間の結婚も増えてきていると聞きます。とりわけ若い世代では軋轢は薄まってきていると見ています。ただ、完全に同化しているかと言うとそうではなく、例えば筆者の職場のパーティーでは、フィジアンとインディアンは一つの会場にいてもそれぞれの民族にきれいに分かれて、それぞれの言語で話に興じます。しかし、仲が悪いという感じではありません。
しかし、年配の人の間では、表面上は諍うことはないものの、互いの不信感は根強いようです。とりわけインディアンからするとフィジアンは働かない、フィジーで働いているのはインディアンばかりだと愚痴る人も筆者の周りで多いです。

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